インターネット上でのライブ配信中に、身体的特徴について乱暴な意見を述べたあるエンターテイナーが、激しい非難にさらされたのちに、所属していたチームから契約を解除されたというニュースを目にした。その人物については、僕は何も知識がないので、ここでその是非については語らないが、僕が若い頃に比べ、人間の身体的特徴への侮蔑表現に対する社会的な目はずっと厳しくなっている。
僕が子供の頃の少年誌(今もあるかもしれないが)には、金運を呼ぶネックレスだとか、そういうゴミみたいな通販商品の広告に混じって、よく「伸長法」なる通信講座の広告が載っていた。「伸長法」というのは、一言で言えば身長を伸ばすための通信講座で、なんだかそれっぽい科学的・医学的用語をちりばめて、あなたの身長を伸ばして女の子にモテましょうと、異性からの視線を強く意識する思春期の少年を誘惑するものだ。
効果があるんだかないんだか、僕は試したことはないが、まあ率直に言って、人間の身体はそんな単純で思い通りになるものではないだろう、という感想しか出てこないものである。
もう25年も前の話になるが、僕の高校時代に、F君というクラスメイトがいた。F君は気さくな性格で自分を飾ることもなく、いつも明るく人を楽しませてくれるので、今風で言う「陽キャ」というほどの派手な印象はなかったが、クラスの男女を問わず人気があった。そんなF君は、まるで持ちネタのようにしばしば自分の身長の低さを自虐的に揶揄して、自らを「背が低くて損している」キャラクターとして位置付けていた。
実際のところ、確かにF君の背丈は高い方ではなかったが、クラスの中でF君1人だけが格段に背が低いという事はなく、F君と同程度の身長のクラスメイトは他にもいた。具体的な身長は知らなかったけれども、おそらく162~3cm程度であったと思う。F君の身長に関する自虐ネタに同調する形で軽口を叩く同級生は、僕も含めて何人もいたが、F君の人柄を考えても、身長の低さを理由に本気で彼を侮蔑する者など1人もいなかったはずだ。
ところがある日、F君は学校に、前述の「伸長法」講座のテキストを持参してきた。数冊のテキストを皆に見せながら「参ったよ! こういうの買ってみたんだけどさあ、ただ体操のやり方とか載ってるだけで、全然こんなの効果がないよ」と、いつもの調子で明るく語るF君だったが、それまで、F君が伸長法のテキストを購入して実践しているという話など一度たりとも聞いたことがなく、僕は非常に驚かされた。
それは言うまでもなく、F君がこんな詐欺まがいの商品に騙されて買ってしまったことそのものに対する驚きではない。常々自分の身長の低さをネタにしていたF君が、こんな得体の知れない講座に2万円もの大金を支払ってまで、自らの身長を伸ばそうと考えていたことに対しての驚きである。
当時の僕は(今でもそうかもしれないが)、人の悩みや心の傷みにまで思いを馳せられるような性格では到底なく、僕は単純に、F君がウケ狙いで低身長のキャラを演じていただけだと思っていたのだが、そうではなく、身長はF君にとって実は一番のコンプレックスで、常日頃の低身長に関する自虐ネタは、単に自分を傷つけまいと、先回りして防衛線を張っているだけに過ぎなかったのだ。
あの頃は、テレビのバラエティ番組などでも、身体的特徴やルックスを笑いのネタにするものは少なくなかったし、それで人気を獲得するテレビタレントも確かに存在した。F君の自己防衛はその当時の風潮に倣ったものであり、通信講座に騙されたと自覚してもなお、それを公言して皆に明るく振舞うのがF君らしいとも言えるが、そんな身体的特徴への揶揄が到底許されなくなりつつある今日から見ると、F君の振る舞いは何とも哀しいものに思えてくる。もちろん当時の僕には、やがてそれが許されなくなる時代が到来することすら全く想像外のことであったが。
振り返ってみると、人が持つコンプレックスを突く商売というものは、伸長法の他にも数限りなくある。美容整形、ダイエット、カツラや植毛、生々しいものであれば豊胸手術や包茎手術もそうだろう。豊胸手術や包茎手術なんて、本来なら大学病院などの外科や泌尿器科で施術されるべきデリケートな手術のはずなのに、青年誌に広告を出しているのは、健康保険すら適用されないような怪しげなクリニックばかりだ。豊胸手術などは、杜撰な施術によって深刻な後遺症を負う事例も耳にする。それでも依頼者は絶えることがない。総じて人のコンプレックスに付け込む商売というのは料金が高額で、それでもコンプレックスを克服したいという、人が持つ弱さを利用して肥え太っているものだ。
冒頭で述べた配信者の舌禍事件については、その非難の度合いやペナルティはあまりに重すぎるという意見も散見される。確かに、物言えば唇が寒くなる社会に息苦しさを感じてしまうという感覚は、僕にもわからなくもない。
しかし、努力などではどうにもならないような身体的特徴のコンプレックスを持つ人が、自分を傷つけるほどの予防線を張ったり、それに付け入る守銭奴のような商売の餌食になったりするのが当たり前の社会というのは、やっぱり正常ではないと思う。僕も過去には、そういう心ない発言で人を傷つけることもあったけれども、僕自身も、また社会も、そんな時代に逆戻りさせるようなことはあってはならないと、今では考えている。
僕が子供の頃の少年誌(今もあるかもしれないが)には、金運を呼ぶネックレスだとか、そういうゴミみたいな通販商品の広告に混じって、よく「伸長法」なる通信講座の広告が載っていた。「伸長法」というのは、一言で言えば身長を伸ばすための通信講座で、なんだかそれっぽい科学的・医学的用語をちりばめて、あなたの身長を伸ばして女の子にモテましょうと、異性からの視線を強く意識する思春期の少年を誘惑するものだ。
効果があるんだかないんだか、僕は試したことはないが、まあ率直に言って、人間の身体はそんな単純で思い通りになるものではないだろう、という感想しか出てこないものである。
もう25年も前の話になるが、僕の高校時代に、F君というクラスメイトがいた。F君は気さくな性格で自分を飾ることもなく、いつも明るく人を楽しませてくれるので、今風で言う「陽キャ」というほどの派手な印象はなかったが、クラスの男女を問わず人気があった。そんなF君は、まるで持ちネタのようにしばしば自分の身長の低さを自虐的に揶揄して、自らを「背が低くて損している」キャラクターとして位置付けていた。
実際のところ、確かにF君の背丈は高い方ではなかったが、クラスの中でF君1人だけが格段に背が低いという事はなく、F君と同程度の身長のクラスメイトは他にもいた。具体的な身長は知らなかったけれども、おそらく162~3cm程度であったと思う。F君の身長に関する自虐ネタに同調する形で軽口を叩く同級生は、僕も含めて何人もいたが、F君の人柄を考えても、身長の低さを理由に本気で彼を侮蔑する者など1人もいなかったはずだ。
ところがある日、F君は学校に、前述の「伸長法」講座のテキストを持参してきた。数冊のテキストを皆に見せながら「参ったよ! こういうの買ってみたんだけどさあ、ただ体操のやり方とか載ってるだけで、全然こんなの効果がないよ」と、いつもの調子で明るく語るF君だったが、それまで、F君が伸長法のテキストを購入して実践しているという話など一度たりとも聞いたことがなく、僕は非常に驚かされた。
それは言うまでもなく、F君がこんな詐欺まがいの商品に騙されて買ってしまったことそのものに対する驚きではない。常々自分の身長の低さをネタにしていたF君が、こんな得体の知れない講座に2万円もの大金を支払ってまで、自らの身長を伸ばそうと考えていたことに対しての驚きである。
当時の僕は(今でもそうかもしれないが)、人の悩みや心の傷みにまで思いを馳せられるような性格では到底なく、僕は単純に、F君がウケ狙いで低身長のキャラを演じていただけだと思っていたのだが、そうではなく、身長はF君にとって実は一番のコンプレックスで、常日頃の低身長に関する自虐ネタは、単に自分を傷つけまいと、先回りして防衛線を張っているだけに過ぎなかったのだ。
あの頃は、テレビのバラエティ番組などでも、身体的特徴やルックスを笑いのネタにするものは少なくなかったし、それで人気を獲得するテレビタレントも確かに存在した。F君の自己防衛はその当時の風潮に倣ったものであり、通信講座に騙されたと自覚してもなお、それを公言して皆に明るく振舞うのがF君らしいとも言えるが、そんな身体的特徴への揶揄が到底許されなくなりつつある今日から見ると、F君の振る舞いは何とも哀しいものに思えてくる。もちろん当時の僕には、やがてそれが許されなくなる時代が到来することすら全く想像外のことであったが。
振り返ってみると、人が持つコンプレックスを突く商売というものは、伸長法の他にも数限りなくある。美容整形、ダイエット、カツラや植毛、生々しいものであれば豊胸手術や包茎手術もそうだろう。豊胸手術や包茎手術なんて、本来なら大学病院などの外科や泌尿器科で施術されるべきデリケートな手術のはずなのに、青年誌に広告を出しているのは、健康保険すら適用されないような怪しげなクリニックばかりだ。豊胸手術などは、杜撰な施術によって深刻な後遺症を負う事例も耳にする。それでも依頼者は絶えることがない。総じて人のコンプレックスに付け込む商売というのは料金が高額で、それでもコンプレックスを克服したいという、人が持つ弱さを利用して肥え太っているものだ。
冒頭で述べた配信者の舌禍事件については、その非難の度合いやペナルティはあまりに重すぎるという意見も散見される。確かに、物言えば唇が寒くなる社会に息苦しさを感じてしまうという感覚は、僕にもわからなくもない。
しかし、努力などではどうにもならないような身体的特徴のコンプレックスを持つ人が、自分を傷つけるほどの予防線を張ったり、それに付け入る守銭奴のような商売の餌食になったりするのが当たり前の社会というのは、やっぱり正常ではないと思う。僕も過去には、そういう心ない発言で人を傷つけることもあったけれども、僕自身も、また社会も、そんな時代に逆戻りさせるようなことはあってはならないと、今では考えている。
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ポリコレだ窮屈だと不満を訴える人たちには、容姿や出自をバカにされてきた人間の気持ちを一度は考えてほしいものです。