僕のバイト先に関わる話でもあるので詳細を述べることはできないのだが、先日、高齢者の初歩的な運転ミスによる事故を見かける機会があった。幸い、運転者も含めて怪我人もおらず、結構な損害ではあるものの、単純な物損事故として処理されることになったのだが、仮に怪我人でも出ていれば、おそらくメディアの取材が入るであろう類の事故であったし、実際に同様の事故はしばしば報道されている。
高齢の運転者が引き起こした事故のすべてが、加齢による判断力低下に依るものであると短絡的に決めつけるわけにもいかないが、今回のこの事故に関しては、さすがに加齢による運転ミスであると見做されても仕方ないほどの高齢の運転者であった。その歳で、まだハンドルを握っているのかと慄然とさせられるほどの年齢である。
高齢の運転者による事故が報じられるたびに、まず免許返納や、高齢者の免許更新の制限についてなどの議論が起こり、しかし地方部においては公共交通機関の衰退によって高齢者でもハンドルを握らざるを得ない事情がある点が指摘されるのが、もはやお決まりのパターンである。中には、高齢者は田舎ではなく都会に住むべき、との意見も散見される。
しかし、実際に長年農村部で暮らし続けてきた高齢者のうち、体力の衰えを理由に都市部へ移り住む人は、果たしてどれほどいるのだろうか。伴侶を亡くし、自身も介護の必要な身体になって、都市部に住む子供の元や、あるいは介護施設へ身を寄せるというケースは多いだろうけど、自らの積極的な意思で、能動的に都市部に移住する高齢世帯というのはきわめてまれな存在である気がする。
田舎の土地家屋を売却したお金で、都市部で同水準の住戸を確保するのは困難であるし、そもそも農村部では、高齢になっても農作業に従事し続ける方も多く、都会への移住など、そんな発想すらない方が大半なのではないだろうか。
限界分譲地の高齢世帯にしたって、高額のローン返済を終えた現在の住まいは、都会に移住するにはあまりに心許ない程度の売却価格にしかならないケースが大半で、限られた年金生活で、そんな一大決心を固めることができる人が多数派だとは思えない。
つまり都市部に移住することが可能な世帯というものは、元々地方部においても生活に余裕のある世帯しか考えられず、そんな世帯はタクシーなどを利用して、田舎でも不便なく生活を続けられるのではないかというのが僕の予想である。
もっともそのタクシーにしても、地方部ではもはや年金生活者の高齢者くらいしか従事できないレベルまで賃金水準が低下しており、加齢を機会に運転免許を返納してタクシーを呼んだら、やってきた乗務員は自分より年上の高齢者だった、なんていう笑い話にもならない事態も起こりうるのだが。
僕は以前、路線バス運転手の仕事に就いていて、既存のバス路線が廃止され、代替交通機関として運行されている自治体のコミュニティバスも運行していたのだが、それらのどの路線も、もはや民間では到底維持が不可能な程度の乗客しかおらず、そのほとんどが、足腰を悪くして運転もままならない高齢者か、障害者手帳を所持する方であった。
その路線も、よく見ると結んでいるのは旧来の農村集落ばかりで、その合間に点在する限界分譲地の存在は、ほとんど考慮していないように見える。昔からバスが運行されていた既存集落には、今でも公共交通機関を利用する習慣が残る住民の方もいるだろうが、最初から車移動を前提として開発された分譲地の住民を、今更公共交通機関の生活に切り替えるのは容易な話ではない。
かく言う僕自身も、たまに気分転換にバスを利用して移動することはあるのだが、日常の足として継続的に利用しているとは言い難い。富里市や山武市では、限界分譲地が点在する地域で運行されていたコミュニティバスですらすでに廃止となってしまい、今は市民しか利用できない予約制のオンデマンド交通のみが、唯一の交通手段として残されている地域もある。
以前は一部で、自動運転の技術に期待を寄せる向きもあったが、経済の低迷が長引く中、技術革新による課題解決を期待する声も、前ほど聞かなくなってしまった。人の強制移動は困難、かと言って公共交通網の新設も困難、自動運転は未だ成らず、僕はまだ高齢者というほどの年齢ではないけれど、やれ限界分譲地だ、放棄住宅地だのと言ってられる時間は、あとどれほど残されているのだろうか。
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