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 すでにTwitterやメインブログで告知はしているが、今夏、僕の初の自著が発売されることになった。待ち望んでいた情報公開の解禁の報せを今朝の未明頃にいただき、午前4時という、告知のタイミングとしてはあまりに非常識な時間にツイートしたにもかかわらず、大きな反響をいただいて嬉しい限りだ。発売に向けての作業はまだあるけれども、脱稿はしているので、僕に残された作業は校正原稿のチェックと、あとがきの執筆だけである。ようやく終わりが見えてきた。

 僕のブログを目にしていた太郎次郎社エディタスの編集者の方から、出版のお誘いを頂いたのは昨年の3月。僕のような、単に文章を書くのが好きなだけの素人は、時折、高額の出版費用ばかり負担させられて、実際にはほとんど流通に乗らないような「自費出版」に手を出してしまうケースがあるのだが、そんな疑念を持たれることを見越していたのか、頂いたメールには最初から、これは商業出版の誘いであり、弊社は自費出版の業務は行っていない、と明記されていた。
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 出版のお誘いを頂いたときは、もちろん最初は喜んだ。僕はこれまでの人生で、物書きという職業を目指したことはなかったが、本を読むのは昔から好きだったし、漫画好きの方が漫画家に、音楽好きの方がミュージシャンに心酔するように、若い頃の僕にも、心酔するノンフィクション作家やルポライターの方が何人もいた。僕はブログ記事の調査で、頻繁に役所などの公的機関を訪問して職員さんにお話を聞いているが、この手法は、昔熱中して読んでいた、とある行政系ルポライターの方の取材手法を模倣したものである。

 しかし僕の中では、ライターや文筆業というものは、基本的に出版業界や報道機関の経験者が脱サラして、かつて仕事で培った人脈を駆使して仕事を獲得していく職業というイメージがあり(僕の好きな作家の方はほとんどがこのような経歴だった)、まともな職歴もなく、メディアとのかかわりなんて新聞配達ぐらいしかなかった僕には、そんな職業は無縁なもので、読むことはあれど、書き手に回ることなど検討すらしたこともなかった。そんな僕ですら、ブログを書き続ければこんな話が舞い込むことがあるのか、と心底驚いたものだった。
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 だが、そんな当初の喜びも冷め、週1日の締め切りごとに、原稿を仕上げて提出する日々が訪れると、むしろ戸惑いの方が大きくなっていたような気もする。もしかしたら誤解されている方もいるかもしれないが、僕のブログは、アクセス数自体は、一般的なブログと比較して決して多くない。僕は現在はブログにGoogleアドセンスの広告を貼って一応収益化はしているが、例えば直近の2022年3月は、広告収益が支払最低金額(8000円)に達しなかったため、広告料の支払いは翌月への繰越になっている。
 
 月に1度程度しか更新していないのだからアクセスが少ないのは当たり前なのだが、アクセス数は、最初に僕のブログがTwitter上で少し話題になった開設当初から、今に至るまで全く変わっていない。アーバンライフメトロや楽待不動産投資新聞などに寄稿する機会はあったが、フリーライターを名乗っての仕事の募集も行っていない(依頼もない)。つまり僕は、物書きとしてのネームバリューなど0なのである。実際、新しく開設したYouTubeチャンネルに寄せられるコメントを見る限りでも、おそらく僕のブログをご存じだった方は、チャンネル開設当初に視聴してくれた方を除き、ほとんどいなかったのではないかと思う。

 にもかかわらず、専属の編集者が付き、大手ではないとはいえ、営利企業である出版社の依頼を受けて、果たして売れるかもわからない書籍の執筆を始めてしまったことが、果たして自分にとって良いことだったのか、もしかしたらまたしても僕の人生は、出口のない暗い袋小路に迷い込んでしまったのではないかという思いを拭う事は出来なかった。

 それは、プレッシャーとも少し違う。そもそも僕は、好きなことで生きていくだとか、夢を実現するだとか、そんな浮足立った生き方を改めて、当たり前の一労働者として、妻と二人で静かに暮らしていくために千葉の限界分譲地へ移住してきたのである。それを、職を辞してまで、なんの保障もない執筆の仕事に身を投じるとは、いったい自分は何をやっているのだという戸惑いである。
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 出版のお誘いを頂いた時点では、僕は誘われて入社した不動産会社に勤めていたのだが、業務上で知り得た物件情報と、他社の取扱物件(つまりすべての物件情報)をブログやTwitterで言及することを禁じられてしまった。既に原稿を書き始めていたので、じゃあもういいよという事で光の速さで退職し、その後、一度トラック会社に勤めたのだが、長時間拘束と休日出勤が常態化している運送業は、毎週締め切りが迫る執筆の仕事と両立させるにはあまりに過酷で、結局原稿を落としてしまう事態になり、こちらも断念することになった。

 以降は、若い頃に経験があり、確実に定時で帰宅でき、執筆の時間が確保しやすいコンビニの夜勤バイトで生計を立てながら執筆を続けてきた。過去に幾度もアルバイト従業員の炎上沙汰に巻き込まれたコンビニは、SNS利用のルールが非常に厳しいので、僕は普段Twitter上ではほとんど仕事の話に言及していないのだが、このバイトは今でも続けている。

 しかし、周知の通りコンビニのバイトの時給は安い。残業もなく、同僚や上司とのいさかいもなく、お客はいつもの顔触れだけ。一人黙々と決められた作業だけをこなしていれば、波風ひとつ立たない田舎のコンビニの仕事は、はっきり言って気楽で平和なのだが、当然のことながら生活はカツカツである。この1年間、執筆の仕事もあるので、実質的に休日などほとんどなかったが、収入は辛うじて食べていくのが精一杯で、何をやっているのだという戸惑いは、この生活難に起因するところも大きかったと思う。
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 その後、一時的に諸事情で進捗が停滞してしまう事態はあったものの、先週無事に脱稿し、いよいよ刊行へ向けて大詰めとなった。送られてきた校正原稿に目を通す前に、告知用のブログ記事の更新ばかりに熱中していて、感無量だと言って幕を引くにはまだ早すぎるが、ようやく、長く暗いトンネルの出口が見えてきたような気がする。

 書籍の売れ行きはまったく未知数だが、幸い、YouTubeの収益化にも成功し、これで今のアルバイトの給料を組み合わせれば、今年はまあ、以前のバス運転手程度の手取りは確保できるのではないかという甘い見通しも立ってきた。今年は横芝光町の限界分譲地の借家の更新も控えているが、仕事を求めて、都市部へ戻る検討もしなくて済みそうだ。